ゆるゆるぬくぬく ひだまり's Life

「生きる」は、きっと子どもの頃の“あの”「夢中にあそぶ」〜〜わたしが人生の強制終了にあってから、もう一度、そこ、「生きる」に還るまでの道のりを、感覚的に感じるstory=魂の響きのままに綴っています。突っ走っては転んでつまづいて落っこちて、そんな今です。

やさしさ

みなさんもご経験はあると思いますが、
わたしも時々

ひだまりちゃんって優しい。。

ってこれまで何度か言っていただくことがありました。


しかし失礼ながらそんな時、わたしは
大概、こっそり怒っちゃってました。。。



「優しいってなんやねんっ!!」って



優しくしようとおもったり
優しさって具体的にどれのことか
その時に関して自分的に把握できずにいたりすると

わたしはそれを受け入れるのを拒んでいたようです。


いやきっと、
優しくしようとしたりしてみたところで
相手が優しくされたと感じなかったとしたら

それは「優しさ」ではないですよね。。


だから同時に、
わたしが何をどうしたかはどうでも良くって
本来、

「優しくされた」とその相手が感じたとしたら
それがその方にとって優しかったという
まぎれもない真実ではないでしょうか。

*・゜゚・*:.。..。.:*・'・*:.。. .。.:*・゜゚・*

わたしは昨年秋から
自分の輝きを信じきる自己修養法
「わもん」というのをとおして
自分の在り方を深めているのですが、

わもんを始めた入り口で創始者やぶちゃんに

やさしく やさしく
自分に、相手に
過去に、未来に


という言葉を贈っていただきました。

その言葉を受け取ってポロポロ涙している自分がいたのですが、あれから約半年


昨日ようやく
その意味がわたしの中で腑に落ちた氣がします。


優しさって
そういうひとつの物や事が存在する、というものでは
もちろん無いでしょうが

ある意味、

緩やかさだったり
ブレーキの“あそび”のような、あそび
だったり

物事がそれはそう
という杓子定規な感じではなくて
まぁ、それもそうだけど、、、というような
解釈や受け止める、ゆとりや幅

なんかそういうものでもあるかもしれませんね。。


その幅のようなものを

わたしは大概、人や人の言動に対して携えている氣がしますが

こと、自分の想いや意志、決意
態度、言動に対しては

「一切」

ほんと「一切」

といえるくらい

幅とか、ゆるやかなゆとりを与えていなかったことに
昨日ハッとさせられました。


あることをしていた時、

いや、、、、
じぶん、どんだけまっすぐやねんっっΣ( ̄。 ̄ノ)ノ

ってビビって
そして

あーーーーーーーー

この固定した感じが
息苦しさで
やさしくなさだったんだぁ。。。。


そう腑に落ちました。



いいじゃんね〜少しくらい違ったって

いいじゃんね〜〜
間違ったって
失敗したって

結果的に
言ったこととやってることが違ったとしたって。


だってそうしようとは思ったんだよ
しようと、、、



じぶんの内で起こる
想い
考え

それらに対して

もう少しやさしくしてみよう。。


人生ここに来てやっと
そう思えた昨日でした。

∞    

今日もすべてのひとが 
 今一番しあわせの場所にありますように  
 
∞             ∞             ∞             ∞

ゆるゆるぬくぬく ひだまり's Life    

すべての輝きと共に  
あなたを超えてあなたを愛してもいいですか?

     魂のヘルパー ひだまり   

nukunukuhidamari333@gmail.com   

∞             ∞             ∞             ∞

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