「手放す」じゃなくて「感謝」に
昨年の秋に初めて本格的な瞑想を体験して以来、
じぶんの中の感覚がさらに大きく変化した。
それを例えていうならば、
まるでそこには
底なしの無限があるだけ
良いも悪いも
快も不快も
有も無も
考えもことばも
存在しない
、、、、、
えぇっと、すみませ〜〜ん
もしも〜し(´・Д・)」
、、、、、
っつったって、必要なことしか起こらんのだろうし
これまで何度となく足掻いて大変なことになったもの
、、、、、
いや、足掻きようもないんだけど、、、
わたしなりにコレとお付き合いしているつもりです。
どちらかというとやっぱり、
まだ恐れを完全に手放せている訳でもなさそう
けれどお陰さまで、これまでのプロセスの中でコントロールされてしまうような恐れの在りようではないです。
起こった出来事にすべてを委ねることしか出来ないんだろうなぁ。。
そこで一番はじめに「委ねる」に取り組んでいた氣がする
そしてここに来て、
わたしさんが騒いでいるのが
「手放す」
既に不必要になったもの、こと、考えが
まだいっぱい置き去りなんだものね。。
*・゜゚・*:.。..。.:*・'・*:.。. .。.:*・゜゚・*
ここでちょっと話しはズレますが
わたしの誤解っぷりの面白かった例をご紹介したいと思います。
「意識の深いところ」と聞いたとき
みなさんならどんな状態をイメージされますか?
深いんだから、下、でしょ?
わた しの感覚は良くも悪くもその程度^_^;
けれどもどうも、ただ矢印を下に向けるのとは違うことがわかりました。
天と地の方向の上と下ではなくて、
魂の中心に向かって内に入り込んでいくような印象でした。
*・゜゚・*:.。..。.:*・'・*:.。. .。.:*・゜゚・*
「手放す」にも、どうやら
この時と同じような誤解っぷりが生じてしまったようです。
まず第一に、じぶんの今に関して
あるのは最初に書いたような状態なので
正直、摑みどころがありません。
これまで通りのやり方をなすためには
渾身の力を振り絞る必要があります。
これまであたり前のように感じていたすべてに。
思いつくことを思いつく限りになしてみています。
油断すると、、、
じぶんが「油断だ」と思い描いている時点で失敗作なのはわかりますが、残念ながらルーカスが居てくれるわけでもなく、毎瞬、毎瞬、結果を想定してのじぶんの思考パターンの上手い書き換えなど、到底追いつけていない状態です。
油断すると、、、どんどん、とんでもない感じになってしまいます。
これについてはまたの機会に。。
まだ、今の状態へとのよいお付き合いが成せていないのですが、かと言ってそうそう、ただただ留まってもいきれず、、
思えることにひとつひとつ取り組んでいく中で、
少し大きめの事柄、
「手放す」にいきあったのです。
そもそも少しも余裕のない状態で思い描いていますからね、
脚本設定、詳細のつめまでなんて到底行き着いていません。
そしてどうも、わたしさんが思い描いた「手放す」は
遠ざかる
なくなる
距離が出来る
という方向づけだったようです。
、、、、、
間違っちゃいないけど、、、
いや、ちょっとどうだろって感じですよね(-。-;
イマイチどころかイマサンくらいですよ。。
しかもorderの仕方も相変わらずシンプルすぎ
「手放します」
なにを、どう、とか
無いんだね。。。うん。
どうして、とか
それでどうなる、とかね。。
学んで無いね。。
ってかまぁ、余裕ないかんね。。
*・゜゚・*:.。..。.:*・'・*:.。. .。.:*・゜゚・*
「手放します」で最初に起こったのは
良きことでした。
身体にあった、溜まっていた要らなかったものが消え去っていきました。
けど、どうも終わっていなそうですよ。。
ここしばらく、表向きの表れとは異なるところで
いろいろなモノをすごい勢いで遠ざけるような動きが生じてしまっていた氣がします。
うん、「手放します(遠ざけます)」ってorderしたもんね。。。。
(´Д` )
違うね、それ。。
間違い!
間違えました〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ふぅ。。
届いてますように。。
間違いに氣づいたら
浮かんできたことばがありました。
「感謝」
なるほどっ!?
要らなくなったものは、もう既に要らないんだから
ありがとう( ; _ ; )/~~~ってしたら
確かにその結果は「なくなる」しかないね!
それだっ!
しかもそれだと間違いない
いずれにしても、うん!
良かった、わかって。。
∞
今日もすべてのひとが
今一番しあわせの場所にありますように
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ゆるゆるぬくぬく ひだまり's Life
すべての輝きと共に
あなたを超えてあなたを愛してもいいですか?
魂のヘルパー ひだまり
nukunukuhidamari333@gmail.com
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