ゆるゆるぬくぬく ひだまり's Life

「生きる」は、きっと子どもの頃の“あの”「夢中にあそぶ」〜〜わたしが人生の強制終了にあってから、もう一度、そこ、「生きる」に還るまでの道のりを、感覚的に感じるstory=魂の響きのままに綴っています。突っ走っては転んでつまづいて落っこちて、そんな今です。

わたしが大切にしたいこと

いつ想ったのか忘れちゃったけど

 

わたしがわたしを赦しはじめたとき

 

やりたい♪と想ったことは

 

『 聞きたいひとが聞きたいときに
     聞きたいように届くように贈りたい  』

ということ、でした。

 

?????

 


でしょう?(笑)

うん、わたしも^^;

 

けどね、


「わたし」

 

『 聞きたいひとが聞きたいときに
     聞きたいように届くように贈りたい』

の?って訊くと、

 

笑顔120%

 

、、、、、

 

しゃ〜ないよね

 

 

けどね、

 

?????だからこそ

 

良いのかなっても思っています。

 


だって


こんなにわたし悦んでるし

 

「そう」なんだなって


もう「そこ」にいるんだなって

 

 

出来てないよ?


そもそも、出来るとか出来ないとかの
なんか尺度の外って感じするし(笑)

 

 

だからね、

 

完全にゆだねられる

 

てか、
そもそもそれしか無理って氣がするしね

 

 

だから

 

大きな大きな「その」枠の中に


いつもいる

 

 

何してても「それ」のためにある

 

 

そんな感覚の中に在ります

 


それは大きな大きな太鼓をたたいてるみたいな

そんな感じ、かなぁ。。

 

*・゜゚・*:.。..。.:*・'・*:.。. .。.:*・゜゚・*

 

大人の頭を越えるほどの
大きな大きな大太鼓

 

中の空間の空氣を
あの大きくて硬い皮を

見事に震わせると

 

ダン

 

て、

 

良い〜音が鳴る。

 


それには、


腰が入っていて
身体のしなやかさと
それを支える筋肉と

 

しっかり支えながらのテコの振りと

身体の芯からのチカラが要る。

 

練習が
鍛錬が
感性が
集中が
筋肉が
、、、
もろもろが必要

 


けどさ、

 

そのまんま
何氣なく トンって
たたいてみたって

 

太鼓は太鼓

 


どんな音でも
太鼓の音


ヘリをたたいても

時には、脇っぱらとか
たたいて コンっとかいわせちゃっても

 

それもやっぱり
その太鼓の音

 


時々、なんか疲れちゃって
がっかりしちゃってしゃがみこんじゃって

 

ガンって
太鼓がのせてある台の脚とか
たたいちゃったりしても

 

それでもやっぱり
大きく、
大きな太鼓の音

 


そんなときは、

 

 

大丈夫だよーーー♪

 

とか、

 

あれ?なにかあったの?

 

とか

 

あれあれ、また? 

 

とか

 

こらーーーーーー
そこじゃなーーーーーい(♯`∧´)

 

とか

 


遠くで見事な太鼓を奏でてくれてたりとか

 


太鼓、やっぱり要るよ〜って
お囃子をたててくれてたり

 

とか

 

ここだよって
一緒にたたいてみてくれたりとか

 


ちょっとおいでって
綿あめ食べさせてもらったり

 

とか

 

ため息つきながら
よしよしって、ぎゅってしてくれたりとか

 

 

そんなこんなをしてもらったりして

そしたら

 


あぁ。。。


わたし、やっぱり

 

太鼓たたきたかった
あの音を出したいんだったって思い出して

 


基礎練とか
筋トレとか
走り込みとか

 

なんかまた
出来るところから

ひとつひとつ、はじめてみる

 

 

『生きる』って
そんな感じ、なのかな

 

∞    

 

今日もすべてのひとが  

今一番しあわせの場所にありますように    

 

∞             ∞             ∞             ∞  

 

ゆるゆるぬくぬく  ひだまり's Life    

 

すべての輝きと共に  

あなたを超えてあなたを愛してもいいですか?    

 

魂のヘルパー   ひだまり   nukunukuhidamari333@gmail.com  

 

∞             ∞             ∞             ∞

 

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