ゆるゆるぬくぬく ひだまり's Life

「生きる」は、きっと子どもの頃の“あの”「夢中にあそぶ」〜〜わたしが人生の強制終了にあってから、もう一度、そこ、「生きる」に還るまでの道のりを、感覚的に感じるstory=魂の響きのままに綴っています。突っ走っては転んでつまづいて落っこちて、そんな今です。

違い

こんな風に

圧倒的な価値観の違いがあるとしたら

 

 

違いを理解し合う

 

というのを目指すのは

なかなかなことで

 

 

 

やっぱり

 

ひとは

「そうなんだな」

 

という視点しかないような

 

そんな氣がします

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わかってくださいと

お願いするのもおこがましいかもしれませんが

 

 

よく感じる

 

わたしの発するものことと、

 

受け取っていただくことの

 

ズレを

見事に

客観的に解説してくださっていて

 

わたしは

前者の説明を読むたびに

 

??????

まーーーじーーーでーーーーーΣ(・□・;)

それは、一体どうなってるの?!

くらいな勢いです

 

 

m(_ _)m

 

 

 

 

 

向江さんのブログより

 

↓      ↓       ↓

 


そんな前者には、後者には衝撃のびっくり、ある発想があります。
それは、前者は「人の言動には必ず意図がある」と思っているのです。


マジでそう思っているのです。


こう発言したらこう相手が受け取って、こう考えてこういう行動を促す効果が・・・
自分がそうやって、常に言動の影響やストーリーを考えながら動いているので、「何も考えてない」人がこの世にいることが、にわかに信じられないんです。


だから前者は、人の言動に対して
「これこれこういうメッセージがあるに違いない」
「この言動は何を伝えようとしてるのだろう」
「これを狙っている」

とかいうことを必ず考えます。
相手の意図や脚本を想定するのです。

そういう意味でも前者は意図の銃撃戦の中に生きていて
常に気を使ってサバイバルしていたりします。


しかし実際は、この世の半分の人(後者)はそんなこと考えて生きてないわけで真顔
考える人や考えることはあっても、そちらの方がイレギュラーです。
(感情はありますし、考えも狙いもありますが、複雑な脚本や演出はしないし発言も基本的にストレート)

 

 

以上

 

 

 

 

 

以下のブログより

転記させていただきました

 

向江さん

いつもありがとうございます

m(_ _)m

 

 

 

わたしは

後者なのだと思います

 

 

 

前者後者って?基本編

http://ameblo.jp/mukae-443/entry-12236291606.html

 

前者後者って?機能編

http://ameblo.jp/mukae-443/entry-12237069538.html

 

前者後者って?世界観・コミュニケーション編

http://ameblo.jp/mukae-443/entry-12237072798.html