ゆるゆるぬくぬく ひだまり's Life

「生きる」は、きっと子どもの頃の“あの”「夢中にあそぶ」〜〜わたしが人生の強制終了にあってから、もう一度、そこ、「生きる」に還るまでの道のりを、感覚的に感じるstory=魂の響きのままに綴っています。突っ走っては転んでつまづいて落っこちて、そんな今です。

枠にはめる と 信じる と

ここ半年間、

「じぶんの輝きを信じきる」ということをテーマに
『人の話しを聞かせていただく』ということに関心を向けてきました。


ことばのことを「言霊」と表現したりしますよね

人が発することばには
すべてが刻まれ現されている

だから、単語のもつ単一的な意味合いを
じぶんの小さな了見のフィルターで振るいにかけることなく

思考の枠を超えて、
発せられている「言霊」のすべてを受けとめる

ということをやれる自分になることです



まっすぐがちで
大概のことを漠然となんとなく捉えがちなわたしですが

輝きを信じきる
言霊を聴く

というところは、

とても大切なこと

一番大事にしたいところなのです。



なので、これまでのような

「じぶんのやり方」
「じぶんの在り方」

で、ではなく

そのことを、ひとのフィルターをも通して意識化し
万人に通用する明確さで意図できるようになることを目指しています。


まっすぐ漠然とそうだと捉える

ということと

明確に意識化し意図する


このことの距離を実感しまくっています。

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みなさんは人の話しを聞くとき
どんな風に聞いていますか?

聞くときの癖などありますか?


そして人の話しを聞いているときのあなたは
どんな風ですか?



その時じぶんが

何を考え
何を感じ
どうしているか

と、

その時相手が

何を考え
何を感じ
どうしているか


は、異なるはずだと思いませんか?

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ケーキを出されたとき

ヤッター
美味しそう
また太る
ゲッ、甘ったるい
見事なクリームののせ方
このスポンジの配分は

などなど

その人の背景によって
いろいろな形で受け止める筈ですよね、きっと

その背景を知らないままに、なんとなく
ケーキなんだからこう思うだろう

と、じぶんの背景を持ってきてしまう


それが枠にはめるということではないでしょうか



冒頭に書かせていただいた
「じぶんの輝きを信じきる」

なんで人の話しを「聞く」
という行為にじぶんを信じる必要があるのでしょうか


今のわたしはそれを

音楽のアドリブ・セッションのような感じかな
と捉えています。


自分の音と

相手の音

それぞれのアドリブを響きあわせようという時に


相手の感覚をかなり集中して聴きに行きます

と、同時に自分も自分らしく奏できって
「響き合わせ」が出来たときほど

相手もますますノッてきますよね

そして、そのお互いの絶妙さにより

その場、
そのセッション、


そしてそれぞれの存在そのものも

更に輝きをを増す


そんな風に感じないでしょうか。。

ソロパートなら別ですが、
どちらかだけがのびのびと奏でたところで
“セッション”は成立しえないですよね

聞く側ものびのびと

その場
その出会い
その響きあいを楽しんでいる状態こそが

互いを輝かせあうのではないか


そんな風に感じています。


∞    

今日もすべてのひとが
  今一番しあわせの場所にありますように    

∞             ∞             ∞             ∞

 ゆるゆるぬくぬく ひだまり's Life    

すべての輝きと共に  
あなたを超えてあなたを愛してもいいですか? 

    魂のヘルパー ひだまり   

nukunukuhidamari333@gmail.com   

∞             ∞             ∞             ∞

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