そもそも、もともと
こんな事言ったら
また一体どう思われることか、、
そう思いながら
「勇氣を出して」
話してみようと整理していたことがあった
そしたら、そのようなことを
サラっとあたり前のように目の前で話してくれた人がいてズッコケた( ̄∇ ̄)
それでなくてもイイって
ことだと思った
なぜか読めずにいる「あの本」
何度も手にしようとするのに
叶わなかった
じぶんがじぶんを信じてあげるために
ただただ内から話すことが
きっと必要なのだろうと
そのままにしていたのだけれど
ひとりでまた時間かけたくないし
不必要なことで
ハラハラドキドキしていたくないので
「はなして」しまうのはどうだろう
あ、あの本とか
あの本とかあの本も
読ませてくれてありがとう!
(笑)
けどさ、
超簡単なハズのブログや
短いなにかでも
しゅんってシャッター降ろされちゃうんだよね
読めないときは読めない
じぶんのためにならないなら
今超える
のも良いし
やっぱり
誤解されても
効率わるくても
突っ込まれても
バカにされても
結局はわたしは
わたしにしか
やってあげられないので
じぶんのミチを
じぶんのペースでゆくのかな
だって
ひとの興味や関心ををひいたり
誰かに救けてもらったり
って
そのために
これを書き始めた訳じゃない
そもそも
もともと違うんだよ
なんだか途中
いろんな流れが起きたけれど
じぶんのために
「ひらく」ことを決めて
挑戦し続けてきた
その想いを
わたしはわたしのために大切にしてあげよう
ちゃんとわかってくれているひとが
いてくださっていることも信じてる
心からの大きな感謝を込めて
改めて
いまを大切に生きよう
心の矢印 〜『プライド』の履き違え 〜
じぶんは
どうしてそれをやるのか
何故
それを選んだのか
いま、なぜそう在るのか
じぶんの中にある
じぶんの想い
そして今
その想いを
どこに
向けているのか
なんのために
それをやりたいのか
それらが一致したとき
ひとはじぶんに
生命に
寛ぐことが出来るのかな
'・*:.。. .。.:*・゜゚・**・゜゚・*:.。..。.:*・
ずっと前に
話しを聞いていただいて
そのときに「やる」と決めたこと
やれずにいるのは
やっていないのは
どうして?
たくさんの方に
いろいろ教えていただき
「頭では」わからなくなくても
届かなかった
じぶんに
いや
届けなかった
のかもしれない
'・*:.。. .。.:*・゜゚・**・゜゚・*:.。..。.:*・
じぶんへの嘘
偽り
攻撃
自己否定は
神様への反抗のようなものだ
と教えていただいたとき
なるほど
納得した
そして同じように
じぶんに対しても。
『プライド』の
使い方を
間違えているんだな。。
そしてそれが
一番の
じぶんへの嘘
攻撃となっている
じぶん
じぶん
じぶん
じぶん
じぶんを
本当の意味で
じぶんのために遣おう
いちなるもの
ホンモノのプライド
じぶんが歓び
じぶんを満たし
その瞬間
そこになにを生むのか
じぶんの歓びはなにで
どうしたら
満たされるのか
なにに飢え
なにを求め
なにで在るのか
なんとして在るのか
あのとき決めた「やる」とは
遥か彼方の「やる」になってしまったけれど
じぶんの今を
思ひ知ることができた
いや、それさえも
その時決めたように
「なんのために」やるのか
を満たせたら
もっと良かったけれど
スマホが
IDが
やり方が、、、と
外の条件ありきで
ズルズル先延ばされたのだ
ちっちゃなちっちゃな事だったのに
疲れ果てて
眠りこけてしまっていました(_ _).。o○
・*:.。. .。.:*・゜゚・*
じぶんの生命
魂のために
いま、わたしが在りたい姿は
やりたいことは、、、
丁寧に
大切に
繋がりなおしてゆきます
ありがとうございましたm(_ _)m
透明で空白 〜そうだ「生き」るんだ〜
ホントはいつも何度も感じていた
混乱
ないものとして扱っていた
それを存分に体験して
不満や疑い
納得いかなさ
etc , etc
大騒ぎして眠ったら
また閑けさに戻れてたかも
良かった良かった良かった
'・*:.。. .。.:*・゜゚・**・゜゚・*:.。..。.:*・
なんとかすれば
モトに戻れる
きっと
前みたいに
語って、動けるようになる
〔 元氣 ?〕になったら
この感覚は失われるかもしれない
半分残念
半分期待
そんな風に想ってた
生氣を取り戻してきたら
、、、
もっと変態度は増し、
もっと研ぎ澄まされてきちゃっている
この状態で
「ひとの中に」
心が凍えて震えていた
'・*:.。. .。.:*・゜゚・**・゜゚・*:.。..。.:*・
以前、
職業相談の窓口で務めていたとき
じぶんはダメなんだ
じぶんは病氣なんだ
あれが出来ないこれが出来ない
と、がんじがらめの方達の
担当だった
その瞳に出逢うたびに
データが蓄積されるかのようだった
あぁ、この方は輝きのまま存在している
(ひとによって引っかかりポイントが違ってて、輝きとして存在する以前にいろんなカタチでこんがらがってる方も多かったけど)
ホントじゃないルール
見せかけの動きや関わり
についてけなくて
バイブレーションが違いすぎて
同時に在られてない人たちのことを
無理やり頭で在(い)ることにして生きようとするから
頭が混乱して、疲れて
やっていられなくなって
【じぶんが】おかしいんだって
病氣だ、障害だ、ダメなんだ
を
受け入れかけちゃってる方たち
だった
'・*:.。. .。.:*・゜゚・**・゜゚・*:.。..。.:*・
じぶんを受け入れはじめ
ひとに受け入れてもらおうという
意欲を持てて
実際、
受け入れてもらえて
【 つながれる 】
そう想ったのに。。。
どんどん透明で空白になる
みんなが
いるのかいないのか
わからないんだ
歩いていて得るサポート
かけていただく声も
さらにさらに普通じゃなくなってきた
なんていうか
ピンポイント
的確
方向?座標?
それを認識させてくれるような
そんな現れとして
やってくる
前は
5秒くらい待って
じぶんとつながるのを待てば
話せる
そんな感じだったけど
今はまた
違う感じだ
昨日とも
この前とも
まるで違う「いま」
とどまるところを知らない
移ろい
変容
いったい何処へ
向かっているのだろう
・*:.。. .。.:*・゜゚・*
凍えながら震えながらでも
出て
昔、確かにつながれていた安心と
歓びと感動のおかげで
居られた
半ば、チカラ技で話した
あ、でも
思考があまり動かないような空間設定?
のおかげでかな?
そのとき自体は、しんどくはなかった
楽しめてる
つもりだった
帰ってきたら
疲れてフリーズして
ヤバかった
モトに戻るどころか
、、、
'・*:.。. .。.:*・゜゚・**・゜゚・*:.。..。.:*・
心地よい閑けさの中に
みんなで入った最倖なひととき
そのとき
響かせていただいた
贈っていただいたように感じた
『生きて』
そうだ
それでもこれでも
どうでも
生きるんだ
これで、
ありのままのわたしで
生きると
決めたんだ
ビビらず
焦らず
慌てず
騒がず
ゆっくり
生きます
わたしの中に吹く風
生きている
生かされている
つながり
シンクロの中で
じぶんの中心から発信することは
ブレていない「つもり」
いつも
大切にしてる
もちろん
ブレること
いっぱいあるのを知ってるけれど
けれど
いや
だからこそ
シンクロしてる
じゃあ先に確かめて
誰かが同じような想いを得ていたから
誰かが同じような何かを発していたから
って
辞めようってしてたら
きっと
神経がもたないよ。。
何かをじぶんで発したつもりでも
きっと
たくさんの方々の恩恵を受けているのだろうな
もともと
それは
いつも感じています
逆に、
似たような行動や結果をして
他と同じ流れ、理由故に選んだ、と思っていただくこともあるのかなと感じます
みんな一緒で
ひとりひとり違っている
所以
だからこそ
大切な大切な絆
信じきるって
もう決めたんだ
願い 祈り 想い ありがとうありがとうありがとうございます
たくさんの要らないものが
剥がれていって
新しい芽が
どんどん育ちはじめ
改めて想うのです
願ったとおりに
進んでいるっていうことを
あのとき放ったとおりに
起こっているっていうことを
なるほど
放ったもんなぁ
想ったもんなぁ
願ったもんなぁ
祈ったもんなぁ
中には
無名戦士のうたがごとく
確かな結果を手に入れたりもしながらね
いま、一番叶っているな
嬉しいなってところは
わたしはわたしのままで
それなりにわたしらしく
居たら
上手な皆さんが
どんどんわたしのでもある祈り、願いを
叶えていってくれるってこと
神さま、ど真ん中で採用っ!
ありがとう(*^^*)
皆さま
ありがとう
ありがとう
ありがとうございます<3<3<3
そして
わたしもわたしなりに
わたしらしく
開いていく
生命をいただいているから
どこから「感じる」に優劣がついたのだろう。。 〜“ヘルパー”な由縁〜追記
これは
わたしの思い込みなのだけれど
カウンセリングって
先のために、って「同意」が
そこにある氣がする
「根強い」って感じ、、
かな
反発や
抵抗
いやいや
もやもや
むかむか
ぐるぐる
ピーーーーーー(フリーズ)
どれだって
今在るのなら
そこに有るのだ
いやいや
むかむか
etc
そうなるのは得策じゃない感じがするのは
お母さんへの大切な想い
じゃないかな
ほっといて
自動的にそうなることが
いま、大きく作用している情動を
そこでイマ感じること
みれば
きけば
氣づけば
あとはアチラがこうじてくれる
※アチラって
わたしが想うのは脳、そこの無限のチカラ
もちろんその先にはスピ…な領域も含まれるのかもしれないけれど
いいか、わるいか
求められているかどうか
わからないけど
出逢って「みえた」ってことは
わたしゴト
ご縁
そう想ってしまうんだよね
だから
だから
ヘルパー
そして
すべてを等しく受け止めている状態が
調和に
一番近いんじゃないかな
大いなる領域(エリア)に
一番放り捨てられがちな
いやいや
むかむかetcを
ひとりひとりが
大切にしはじめたとき
争いが癒される
そんな風に
想うのです